わたしの夢をいっぱい葉えてもらって、幸せもいっぱいもらったので、次はちゃんと殘していける人になりたい
我已經(jīng)完成了許多夢想,也體驗過許多幸福的事情。接下來想要成為可以留在大家記憶中的人。
――“ADAMAS”“紅蓮華”を経て、LiSAという表現(xiàn)者は変わらざるを得ない部分に直面してたと思うんですよ。それこそ、“紅蓮華”のときには「違う道を見つけるべきところに來ている。ターニングポイントなのではないか」みたいな話をさせてもらっていて。だけど“unlasting”は、ちゃんとひとつの答えになっている。だから、自分で傷をえぐったけど、ある意味ホッとする部分もあるんじゃないですか。ちゃんと出口があった、というか。
――在經(jīng)過了“ADAMAS””紅蓮華”這兩部作品後,我感覺LiSA也開始面對作為一個表演者不得不改變的部分了。這也正是在訪談”紅蓮華”中提到的這句話「現(xiàn)在到了必須尋找新方向的時候了?;蛘哒f是到了一個轉換點吧。}不謀而合。而在本次的”unlasting”中,也確實有好好的提出一個答案。雖然這跟把傷口上的痂重新翻開差不多,但也因為有確實的找到答案,所以在某種意義上也算是有找到宣洩點吧。
LiSA:そうですね。やっぱり、デジタルリリースで出したときに、みんながちゃんと理解しようと思って受け取ってくれたことは、わたしの一番の安心材料でした。それはホッとした瞬間でもあるし、「こうやって歩いていけるなら、わたしはまだできることがあるな」って思いました。
LiSA:是阿。果然對於我來說,在發(fā)行數(shù)位板的時候,粉絲們能確實理解我想傳達的內容,就是一個能讓我感到十分安心的材料。在當下除了鬆一口氣支外,也讓我覺得「如果是這條路,我應該還可以繼續(xù)堅持下去」。
――まあ、“紅蓮華”のときにも「まだ咲きたい」とは言ってたし(笑)。
――也是呢,而且在訪談”紅蓮華”中不是也有說道,還向繼續(xù)「綻放自我」嗎(笑)。
LiSA:今回は「裂いてる」ほうだけど(笑)。
LiSA:不過這次應該不是綻放,而是「撕裂自我吧」。(笑)
――切れ味がある(笑)。結果、表現(xiàn)者としてしっかり前進できている感覚もあるのでは?
――感覺就很鋒利(笑)。就結論來說,是不是也感受到那做為表演者時努力前進的感覺呢?
LiSA:はい。やっぱり、「LiSAをやらなきゃ」っていう責任はやっぱり脫ぎ切れなくて――それは脫がなくてもいいものなんですけど、「LiSAをちゃんとやらなきゃ」「今まで作ってきたLiSA像を貫かないと」とか、自分の中で勝手に固めてきた「LiSAらしさ」みたいなものに、自分自身が固められていたと思います。それは、歌い方もそうだし。でも今は、ほんとに自分の中にあったものを歌えてる感じがします。頑張らないという意味ではなくて、歩きやすくなった。LiSAを愛しやすくなった、と思います。
LiSA:是阿。果然我還是沒辦法從「要把LiSA這個角色版演好」的這項責任中脫離。--雖然不放棄這項責任也沒關係,但不論是「要把LiSA這個角色扮演好」還是「要把從前到現(xiàn)在建立起的LiSA形象貫徹到底」,這種在自己心中擅自僵化的「LiSA形象」,會逐漸讓自己也開始跟著僵化。這也會同時影響到自己的曲風。但在現(xiàn)在,有種真的能把自己心中想唱的東西唱出來的感覺。這不是指不用努力就可以達成,而是指可以更輕易的達成??梢愿p易去擁抱LiSA這個身分的意思。
――LiSAを愛していたのは、もともとそうだったのでは?
――難道不是本來就愛著LiSA這個身分嗎?
LiSA:だけど、自分が固め続けてた「ならなきゃいけないLiSA」でいることに対しては、1年前までは「これをやり続けるのは大変だぞ」って思ってました。ずっと、進んでいくために「うんこらしょ」「どっこいしょ」って歩いてきたんだけど、今はもうちょっとこう、スッといけるというか、人間になった感じがしますね。身軽になった、というか。
LiSA:是這樣沒錯,但在「必須成為的LiSA」這種讓自己會逐漸僵化的想法的影響下,直到一年前我都還是認為「要繼續(xù)扮演這個身分很辛苦」。一直以來未來要持續(xù)前進都是「嘿咻」「嘿咻」的奮力向前邁進,但相較起來現(xiàn)在已經(jīng)可以用更輕鬆、更自然的狀況,或者說更像一個人的感覺。彷彿身體變輕了一樣。
――だけど同時に、今まで感じてきた想いも、ちゃんと自分の中にあるんだよっていう。
――而且在此同時,一直以來所感受到的、所體驗到的事物也都有完整的保存在自己心中。
LiSA:うんうん。そうです。
LiSA:嗯嗯,說的沒錯。
――今回のシングルはカップリングも非常に充実しているなあ、と思います。いつにも増して、音楽的に豊かな曲たちが揃った印象がありますね。
――這次的專輯中的收錄曲也給人十分豐富的感覺呢。感覺內容較以前的相比,收錄了許多在音樂性上十分充分的曲子。
LiSA:全部、大事な人に向けて歌ってる曲ですね。それこそ“ハウル”とかは、“ADAMAS”とも“紅蓮華”とも違って、血眼じゃない(笑)。でも、全部そうかも。全曲、血眼な曲じゃないですね。自分から「好き!」って100回言わなくても、1回大事な「好き」がちゃんと伝わるような伝え方ができたと思います。
LiSA:這些全部都是為了十分重要的大家所唱的歌曲。正因如此,”ハウル”才跟”ADAMAS”還有”紅蓮華”不一樣,不是一首會讓人感到興奮悸動的歌曲(笑)??赡懿恢贿@首,全部都可能不是這種類型的歌曲(笑)。但我認為這些是不需用100次「喜歡」來強調,只需用一次最重要的「喜歡」就可以把想法傳出去的歌曲。
――「LiSAの物語」があって、それにエモーショナルに共感することでついてきてくれる人が多かったわけで、それはもちろん今もそうなんだけど、それ以外の選択肢も音楽としてちゃんと提示できてるんだなあって、カップリングの曲たちを聴いてると感じるのですよ。
――正因為有「屬於LiSA的故事」,所以現(xiàn)在才會有如此多可以在情感上有共鳴並支持你的人們存在。而除了透過這個名為「屬於LiSA的故事」的選項以外,在聽完這次的收錄曲之後,會感覺到原來除了這個以外,曲子裡面還暗示了這麼多以前沒發(fā)現(xiàn)、可以讓我有共鳴的點。
LiSA:そう! そうです(笑)。
LiSA:沒錯! 就是這樣(笑)。
――(笑)「LiSAの物語」に共感していると、音楽がめっちゃ響いてくる。それに加えて、今までの物語を知らなくても、ちゃんと愛される音楽がどんどん生まれていく。今のLiSAの音楽って、そういうものなんじゃないかな、と思います。
――(笑) 只要跟「屬於LiSA的故事」這點產(chǎn)生了共鳴,再回去聽歌就會覺得更有感覺。再加上,就算不清楚到現(xiàn)在以前的故事,還有許多被灌注許多愛情的歌曲會逐漸被創(chuàng)作出來。就會讓大家有,LiSA現(xiàn)在的歌曲,一定不會只有現(xiàn)在這種高度的感覺。
LiSA:それです(笑)
LiSA:正是如此(笑)
――そうですか(笑)。
――真的是這樣?。ㄐΓ?/font>
LiSA:だって、ほんとにそうだもん。やっぱり、自分の物語として歌詞や曲を書き続けると、歌えなくなってくる曲たちが増えてくるんですよ?!杭t蓮華』ツアーの中でも、「ここに、こういう曲が足りないんだよなあ」って思ったとしても、たとえば「でも、ここは“無色透明”じゃないんだよね」って思ったりするんですね?!附瘠螝莩证?、これじゃないんだよなあ」みたいな。今やっているライブ、わたしの今のスタンスに當てはまる曲がない、と思ったときに、それってその都度濃厚な血をたくさん注いできて、その場面での自分の気持ちが強すぎたからなんだなって。だから、そういう場面になったときに、「誰かの歌」って言ったら変かもしれないけど、もうちょっと味わいやすい物語や言葉、音楽をお屆けしたいと思いました。
LiSA:這的是這樣啊。因為持續(xù)以自己的故事做為歌曲的原料來創(chuàng)作時,唱不到的歌曲自然也會增加。在『紅蓮華』的巡演中,時常有「在這段用這首歌感覺好像不太夠阿」的想法時,比如像是「但這裡好像又不適合放”無色透明”」這種「這首感覺不對阿」的想法。在目前為止的演唱會中,如果出現(xiàn)找不到跟現(xiàn)在的心境相吻合的歌曲的時候,那就是因為在創(chuàng)作當下,一時興奮灌注了過多的熱血進去,造成在歌曲中灌注了過多當下的情緒。所以,如果用「這是一首獻給某人的歌」來形容一定會很奇怪。所以才會想使用更容易理解、品味的詞語、曲調來獻給大家。
――それが、これからの音楽への挑み方。
――這算是從今以後在音樂方面上想挑戰(zhàn)的方式嗎?
LiSA:そう。なんか、「殘したいな」って思ったんです?!哎膝Ε搿堡胃柙~に、《最後の最後に答え合わせをしよう》って書いたんですけど、死ぬときにならないと正解か不正解かなんてわからないし、死ぬときにならないと後悔してるのか、してないのかもわからないなって思って。だから、自分が死んだときにしか誰かが気づけないんだったら、今のうちにいっぱい殘しとこうって思いました。音楽をやらせてもらっていて、楽しく生きられるためのものをやってるんだから、後から誰かが見つけてくれて、明日から強く生きられるような、遺書をたくさん殘しておきたい(笑)。せっかくだったら、誰かが見つけたときに「LiSA、苦しかったんだね」って思われるような曲じゃなくて、見つけてくれた人たちが「自分たち、こんなに愛されてたんだ。じゃあ頑張ろっ」みたいなことを思える、曲というか遺書を殘したいと思いました。
LiSA:沒錯。因為現(xiàn)在有「想留點什麼下來阿」的想法冒出來。”ハウル”的歌詞中有一句《在最後的最後來一起核對個答案吧》。因為覺得到死之前都不會知道到底是正解還是不正解、自己是否會感到後悔。所以如果要到自己死後才讓人發(fā)現(xiàn)你的好,不如現(xiàn)在就留下一堆屬於你的東西。正因為大家現(xiàn)在願意聽我的歌,這也是能讓我快快樂樂活下去的共做。所以想留下很多遺書,讓之後聽到這些歌的人,也可以對明天產(chǎn)生希望而繼續(xù)堅強的活下去(笑)。正因為有這個機會,我才不想讓之後聽到歌的人有「LiSA的歌聽起來好苦悶喔」的感覺。而是可以覺得「原來自己是這樣被這個世界所喜愛著的,那我可不能就這樣放棄呢!」。所以說與其是把歌留下來,不如說是寫了一封封的遺書阿。
――遺書って(笑)。
――遺書嗎(笑)。
LiSA:遺言?(笑)。遺書って、生きているときにどんなことがあっても、やっぱり死ぬときには人の幸せを願うものなんです。あとから「あの人はすごかった」って言われることって、よくあるじゃないですか。だから、今のわたしが言ってることに説得力がなかったり、伝わらない人に対しても、わたしがいなくなったあとに曲の説得力が増すかもしれないから、そういう人たちがみんな幸せに過ごせるように、「生きてけよ。お前ら」みたいな(笑)、遺書を殘したいんです。自分のことを歌った歌ばかりじゃなくて、みんながその先に生きていけるような音楽を、わたしは殘していくべきだなって思います。
LiSA:還是說是遺言呢(笑)。遺書我覺得應該是個,不論在活著的時候遭遇什麼樣的事情,在死去的當下是要為還活著的人們祈求幸福的東西。所以才會常常聽到說「那個人好偉大喔」這樣的話。也因為這樣,如果在現(xiàn)在我的話可能對某些人缺乏說服力,可能在我死去之後這些內容的說服力就上升了也不一定。為了讓那些人可以充滿幸福的繼續(xù)生活下去,我才會想留下像是「欸,你們給我好好活下去阿」這樣的遺書阿(笑)。我認為我該留下的音樂中,不能僅是只有跟自己有關的故事,還要有能成為未來大家生活下去的動力。
――なるほど。でも、今のたとえはすごくわかりやすいかも。「LiSAの物語」から生まれた曲は、最初にリスナーに觸れた瞬間に最大の力が出るし、熱量もマックスになる。でもこれからは、生まれた時點の熱量に頼らない曲も作っていきたい、ということですね。
――原來如此。這次的比喻應該非常淺顯易懂。從「屬於LiSA的故事」中產(chǎn)生的歌曲,在聽眾接觸到的瞬間就是以最大功率在傳達想法,傳遞過來的熱量也是最強的。但是從今以後,也會想寫不依靠發(fā)行時的能量也可以傳遞下去的歌曲是嗎。
LiSA:そうです。だから時代を超えていってほしいし、「大丈夫だよ」って言いたいし、今度はわたしがちゃんと幸せを殘していける人になりたい。わたしの夢をいっぱい葉えてもらって、幸せもいっぱいもらったので、次はちゃんと殘していける人になりたいなって思います。
LiSA: 沒錯,所以才希望我的歌可以跨越時代,不僅是想跟後人說句「沒關係的」,而且這次我也想當一個能將幸福流傳下去的人。因為我已經(jīng)達成了許多夢想、也體驗到了許多幸福的事情。接下來就是輪到我把這份幸福傳遞下去讓後人可以一同感受到了。
――素晴らしいじゃないですか。
――真的很出色呢!
LiSA:わたしも子どもの頃、いっぱい愛情を持ってやってくれてたことを愛情だって気づけなかったし、側にいるときにはわからないこともあったりするじゃないですか。でも、歳を重ねるうちに、それこそ死ぬ間際にもわかってくることはいっぱいあるのかな、と思っていて。だって、死ぬ間際になって「あ~、最後にラーメン食いたかった。バタッ」とはならないじゃないですか(笑)。最後は、「お前ら元気でやれよ~」って思うわけですよね。だから、最終的には自分の欲望じゃないんだなって思うんです。
LiSA:在我也還小的時候,時常會有感受不到身邊親友帶來的滿滿愛情、或是沒有察覺到對方陪伴在自己身旁。但是,隨著歲月增長,我覺得這些事情全部會在死前都察覺到。因為總不可能在死前是用著「阿~在死前最後還想再吃一次拉麵阿。啪搭」的方式死去吧(笑)。大多都是是以「你們要好好活下去阿~」這種方式結束吧。所以我才覺得自己在最後不會是依照自己的慾望來最結束。
――パーソナルな體験から行き著いている考え方なんだろうと思うけど、だからこそめちゃくちゃリアルな話ですね。だって、それはきっと誰もが同じだから。
――大概因為是發(fā)自自身體驗的說法,所以這席話其實覺得十分真實。因為這種結尾大家大概都是差不多的。
LiSA:そう。“unlasting”も、殘された人のための曲を書こうって思ったんです。大事な人をなくした側の人、悲しみを抱えた側の人の歌です。
LiSA:沒錯,”unlasting”也正是面向那些送走親友的人所寫下的曲子。為那些身邊很重要的人不再了,身處悲傷的人所撰寫的歌。
――だから「悲しいんだぜ」っていう話をするのではなくて、「悲しい」という感情そのものを描かないといけなかった。本當の意味での悲しい、本質的な意味での寂しいを描く必要があって。
――所以歌詞內容才不是「真的很難過啊」,這種描寫「感傷」情感。而是直指感傷的源頭,因為寂寞而造成的感傷才是歌詞描述的重點。
LiSA:うん。そこに、わたしの血もいっぱい混ざってます(笑)。
LiSA:嗯,在那部分也混入了許多我的心血呢(笑)。
取材?文=清水大輔 撮影=森山將人
スタイリング=久芳俊夫 ヘアメイク=氏家恵子
校搞:Dr.K、翻譯:Dr.K、將拔
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