――前回のシングル“ADAMAS”と“赤い罠(who loves it?)”は意識(shí)的に攻めてる內(nèi)容だったと思うんですけど、その意味で最新作の“紅蓮華”は、逆に「LiSAらしい楽曲」っていう印象があって。どういうモードで制作に臨んでいったんですか。
――前張的單曲“ADAMAS”與“赤い罠(who loves it?)”,我認(rèn)為含有意識(shí)的進(jìn)攻的內(nèi)容、那麼意味著最新作的"紅蓮華"、是相反的「像是LiSA樂曲」,是什麼的模式進(jìn)行製作的呢。
LiSA:まず“紅蓮華”は、「守りたいものがあって、傷だらけでも強(qiáng)くなっていく」というところで、“ADAMAS”とテーマ的に大きくは変わらなくて。“ADAMAS”はベストアルバムのあとに、それこそ「こいつ、まだまだ攻めていくんだな。よっしゃ、いくぞ!」みたいな気合いを入れたかったし、みんなの不安を解消したい気持ちもあったから、“ADAMAS”“赤い罠”と、あえて攻めの楽曲を入れました。で、今回“紅蓮華”を出すことになったときに、“紅蓮華”は「守りたいものがあるから攻めていく」っていう以前のわたしのスタンスではなくて、守りたいものができてしまったことによる嬉しさ、つらさみたいなものも組み込んである曲なんですね。
LiSA:首先“紅蓮華”的部分,「因?yàn)橛邢胧刈o(hù)的事物,因此就算遍體麟傷也會(huì)不斷變強(qiáng)」這裡其實(shí)跟“ADAMAS”在主題上並沒有太大的改變。“ADAMAS”這張專輯是在精選輯之後,除了想把「原來這個(gè)傢伙還可以繼續(xù)衝阿。好,衝阿!」這樣的氣勢(shì)放入之外,還帶有破除大家不安的情緒地想法在內(nèi)。所以才會(huì)特別放入像是“ADAMAS”赤い罠”這樣,充滿攻擊性的歌曲在內(nèi)。而這次在確定要發(fā)行“紅蓮華”時(shí),則是與以往「因?yàn)橛邢胧刈o(hù)的事物所以我要向前進(jìn)攻」的態(tài)度不同。這次曲子中的是發(fā)現(xiàn)值得守護(hù)之物時(shí)的那種欣喜感以及無力感。
わたし自身が裏切れない、やめられない、止まれない。生きることをやめられないし、死ねない――要するに、LiSAであることをやめられない、やっていかなくちゃいけないっていう、やっぱりその時(shí)點(diǎn)の素直な苦しかった気持ちも含めてます。だけど、自分がそれでもまだ咲きたい、まだ進(jìn)みたいっていう希望を、橫浜アリーナでのライブの前にちゃんとみんなに伝えたくて。それまで、不安要素が多いところをみんなにたくさん見せてしまっていたので、今の自分の気持ちをちゃんと伝えなくちゃって思ったのが“紅蓮華”です。
我不會(huì)背叛自己、不會(huì)放棄,也不會(huì)就此停住腳步。不會(huì)放棄繼續(xù)活下去,也不會(huì)就此死去。簡(jiǎn)單來說就是包含著當(dāng)下那種,我不會(huì)放棄身為L(zhǎng)iSA的這件事,絕對(duì)不能放棄的最單純的痛苦感。但是,就算如此,我想在橫濱的演唱會(huì)前,將我還想繼續(xù)向前邁進(jìn)、繼續(xù)綻放自己的光彩的這股想法確實(shí)地傳達(dá)給粉絲們。由於在那之前,不小心讓大家看到了許多會(huì)感到不安的情況,才會(huì)有了「一定要將自己當(dāng)下的心境傳達(dá)給大家」的作品“紅蓮華”。
――受け取る人を不安にさせてしまう狀態(tài)というのは、その當(dāng)時(shí)の時(shí)分のメンタルにどんな影響をもたらしていたと思いますか。
――你說的「將會(huì)給歌迷帶來不安」的這種情況,確切來說是在當(dāng)下給精神上帶來怎樣的影響呢?
LiSA:大前提として、「みんなのことを不安にさせたくない」っていう気持ちがあります。自分の気持ちをわかってほしいということではなくて、「大丈夫。わたしは今、ちゃんと前向きだよ。ちゃんと自分のことを大事にできてるよ。これからも進(jìn)んでいく心積もりでいるから」っていう気持ちを伝えなくちゃ、と思ってました。
LiSA:由於有著「不想讓大家感到不安」的這個(gè)想法為前提。因此,不是要讓大家了解我的心境,而是一定要讓大家了解到「沒關(guān)西的,我現(xiàn)在有好好的保持正向的心態(tài)。有好好珍惜自己的身體喔。接下來也打算繼續(xù)向前邁進(jìn)。」的這個(gè)想法。
――『紅蓮華』は15枚目のシングルで、これまでもあまねく物語に自分を重ね合わせてきたと思うんですけど、今回は歴代のタイアップ曲の中でも、かつてなくLiSA自身が歌詞に出てるんじゃないかなって思っていて。當(dāng)然『鬼滅の刃』の物語やキャラクターは念頭に置きつつ、自分自身のことがアウトプットされた感覚が強(qiáng)いんじゃないですか。
――『紅蓮華』作為的十五張的單曲,感覺也與以往的作品一樣,都有將自己帶入歌曲世界。但是,比起以往的商業(yè)合作中,這次的歌詞中就出現(xiàn)了不同於以往,將LiSA自己的經(jīng)驗(yàn)放入其中的感覺。當(dāng)然,作詞時(shí)應(yīng)該也是以『鬼滅之刃』的故事情節(jié)以及各腳色為原點(diǎn),但LiSA對(duì)角色輸出自己的情感這點(diǎn)應(yīng)該還是十分強(qiáng)烈的吧?
LiSA:そうですね。これまでは、作品があるおかげで、あまり素直な言葉を使わないでよかった部分もあったけど、“紅蓮華”はわかりやすくないといけないって思いました。どちらかというと、今までは「アニメ側(cè)の気持ちに自分の気持ちを乗せなきゃ」って思ってたし、近いものを探そうって思ってた。だけど今回は、自分が書きたいことや自分が書きたい歌詞の伝え方を、作品に寄せる作業(yè)のほうが多かったというか。先に自分のことを書いて、作品に寄せていったっていう言い方が近いのかな。
LiSA:對(duì)阿。因?yàn)榈侥壳盀橹梗瑵M多因?yàn)樽髌返年P(guān)係,所以可以用一些不那麼直接明白的字句。但是在“紅蓮華”上卻給我非得講清楚的感覺。換句話說,一直以來我都是以一個(gè)「在動(dòng)畫立場(chǎng)上加諸自己的感受」的想法,將自己身邊看到的感受寫進(jìn)去。但是,這次卻是將自己想表達(dá)的、自己想寫的歌詞覆蓋到作品上的情況偏多。也就是先寫好自己想寫的內(nèi)容,再插入作品世界觀的做法吧。
――手法としては、かつての手法と逆のアプローチをしている?
――所以是說使用與過去寫詞的手法相反的意思嗎?
LiSA:そうですね。
――LiSAの狀況として気持ちを伝えるべきタイミングでもあっただろうし、それは結(jié)果『鬼滅の刃』とも相性がよかったのかな、と思うんですよ。なんか、炭治郎という人がLiSAに見えて仕方がないと思っていて。いわゆる剣戟が見どころのアニメなんだろうなあ、と思いつつ、実はキモになってるのは1話の序盤で炭治郎が街に炭を売りに行ったところで――。
――從LiSA狀況來看,有可能目前就是傳達(dá)想法最好的時(shí)機(jī)。所以才會(huì)給人帶來這種與『鬼滅之刃』的契合度很高的感覺吧。不禁會(huì)讓人把炭治郎看成是LiSA。也就是說當(dāng)想著「這部大概是一部刀光劍影的動(dòng)畫吧)的同時(shí),整部作品的精華卻是第一話剛開始炭治郎出發(fā)去大街上賣炭火的部分。
LiSA:ははは。なんで? わたし、炭売らないよ(笑)。
LiSA:哈哈哈。為什麼呢? 我可不會(huì)賣炭喔(笑)。
――(笑)彼は家族みんなに「行かないで」って寂しがられながら家から出て行って、街に行く。街では、炭治郎が行くところ、行くところに人が集まってくる。自然體でいても引力があって、まわりに輪ができていく人なんだなって――炭を売りに行くシーンで、勝手にそう感じていたんだけど(笑)。
――(笑)當(dāng)他十分孤獨(dú)地在家人「不要走」的呼喚聲中離開並前往大街上。在街上只要是炭治郎去的地方,人潮就會(huì)開始聚集。就是自然而然地產(chǎn)生吸引力,並漸漸在身旁形成一個(gè)小圈子的那種人呢。但這也只是我自己從賣炭這段劇情中感受到的而已(笑)。
LiSA:(笑)はい。
――「とてもLiSA的な光景だな」って思いながら観てたわけです。だから炭治郎に無理やり寄っていく必要もなかっただろうし、自分の中にはない気持ちを『鬼滅の刃』に見出す必要もなかったんじゃないかな、と。最初から近い位置で書けていたのが“紅蓮華”の歌詞なんだろうな、と思っていて。
――所以我才會(huì)抱著「這很LiSA阿」的想法收看這部動(dòng)畫。所以我才會(huì)覺得你沒有必要強(qiáng)迫自己以貼近炭治郎的情況來創(chuàng)作,更不用特別去挖掘『鬼滅之刃』中自己並不擁有的那些情感。而是從最開始便是從十分貼近自己的角度來書寫”紅蓮華”歌詞的,沒錯(cuò)吧。
LiSA:そう思います。だから歌詞も、炭治郎として書いたというよりは、炭治郎を自分の中に一回入れて、LiSAとして書いた感じですね。
LiSA:我也是這樣認(rèn)為的。因此與其說我在創(chuàng)作時(shí),是以炭治郎的觀點(diǎn)出發(fā)。其實(shí)應(yīng)該是我把炭治郎帶入我自己後,以LiSA的角度來完成的比較正確。
――さらにシンプルに言うと「炭治郎って、LiSAっぽいな」と思ったんですよね。彼は、自分が弱いことをわかっているし、勝てないと思ったときの行動(dòng)もある意味的確だし、弱いことを認(rèn)めた上で立ち向かっていくところがある。同時(shí)に、人のためを思って必死になれる部分もある。それこそ、今の自分を認(rèn)める、でも行かなきゃいけないんだっていう気持ちも、今回の歌詞には現(xiàn)れてるじゃないですか。
――如果再用更簡(jiǎn)單明瞭的講法,就會(huì)變成「炭治郎很LiSA阿」這種感覺了。他很清楚自己的弱小,在無法發(fā)現(xiàn)無法取勝時(shí)的行為舉止總體來說也是正確的。在承認(rèn)己身弱小的同時(shí)仍繼續(xù)向前邁進(jìn)。同時(shí),只要是為了他人就會(huì)拚死去完成。這不正是這次歌詞中出現(xiàn)的,認(rèn)同現(xiàn)在的自我,但迫於現(xiàn)實(shí)不得不繼續(xù)向前行的心境嗎。
LiSA:そうですね。だから物語を読んでる人、『鬼滅』を好きな人たちも「炭治郎の歌に聞こえます」って言ってくれるんだろうなって思います。
LiSA:沒錯(cuò)。所以那些正在閱讀作品的,或是那些喜歡『鬼滅之刃』的人們才會(huì)有「這似乎就是炭治郎的故事呢」的感覺吧。
――象徴的な歌詞があって、それは《世界に打ちのめされて/負(fù)ける意味を知った》という箇所なんだけど、やっぱり自分自身が思うようにできなくて悔しい思いをした人から出てくるからこそ、説得力をもって響く言葉になってるなあって思うんですけども。
――這次作品中有句十分具代表性的歌詞,那就是《就算被世界擊潰/嘗到失敗的滋味》的這個(gè)部分。我覺得果然是要經(jīng)歷過那種身不由己的痛苦回憶後,這句話才會(huì)十分有說服力,讓聽者產(chǎn)生共鳴。
LiSA:そうそう、そこから歌詞を書いたんです。《世界に打ちのめされて/負(fù)ける意味を知った》から歌詞を書いていきました。《ありがとう悲しみよ》の部分をピックアップしていただくことが多くて、もちろんそこを印象的なフレーズとして殘してるからそうなると思うんですけど、わたしが歌詞をバーッて何回も何回も書いて、「ここだ~!」って思った自分の中の正解は、《世界に打ちのめされて/負(fù)ける意味を知った》でした。このフレーズだけを殘して、一回全部バーッて壊して、また最初から書きました。
LiSA:對(duì)對(duì),就是這樣,就是從這裡,從《就算被世界擊潰/嘗到失敗的滋味》這句開始完成歌詞的。聚焦《感謝你,那悲傷的過去阿》這句的聽眾滿多的,雖然這也代表這句是十分具有代表性,因此才能被大家記住。但是自己在不斷修改的過程中,給我「阿就是這個(gè)!」感覺的答案其實(shí)是「就算被世界擊潰/嘗到失敗的滋味)這句。寫出這句後,其他的就全部捨棄,重新開始了。
――そこだけが、コアとして殘った。
――只留下這個(gè)做為最核心的部分是嗎。
LiSA:そうです。そこが、今回の心臓です(笑)。『鬼滅の刃』自體、ほんとにめちゃくちゃ沒頭して読んでいて、今もずっと追っかけてるんですよ。出てくる人はみんな素直で、だけどみんなちゃんとそれぞれに戦う意味があって、戦い続けていて。炭治郎は殘酷な過去を背負(fù)っていても素直で、たぶん彼は禰豆子がいるからグレなかったんだと思うんですよね。炭治郎みたいに悲しい過去を背負(fù)ったときに、守るものがない人は、『鬼滅の刃』の世界では鬼になるんです。でも炭治郎には禰豆子がいて、守るべきものがあったから、強(qiáng)くならないといけなかった。炭治郎には唯一の希望、自分が生きる意味があって、わたしにとってはそれがLiSAで、みんながいるからわたしは希望を持ってLiSAでいられている。でもみんながいなかったら、たぶんできないんだろうなって思いました。
LiSA:沒錯(cuò)。這句就是這次作品的心臟呢(笑)。閱讀『鬼滅之刃』的時(shí)候真的是沒日沒夜的一直讀下去,現(xiàn)在也還在追番中。故事中出場(chǎng)的人物每個(gè)都十分率真、且都有屬於自己的奮鬥理由,讓他們不停地戰(zhàn)鬥下去。炭治郎她就算背負(fù)著殘酷的過往,也還是一樣率真,大概是因?yàn)橛卸[豆子在他身邊,所以才沒有垮掉吧。而相對(duì)於炭治郎,同樣背負(fù)著慘痛過去卻失去需要守護(hù)之物的人,在『鬼滅之刃』的世界中就會(huì)化身為惡鬼。但炭治郎因?yàn)橛卸[豆子在,有必須守護(hù)的事物在,所以才必須不斷變強(qiáng)。這就是炭治郎此生唯一的希望、繼續(xù)生存下去的意義。而同理對(duì)於我來說,這個(gè)希望、意義就是LiSA。正是因?yàn)榉劢z們的存在,我才得以抱有希望成為LiSA。假如粉絲們都消失了,大概LiSA也就會(huì)一同消失了吧。
――守るべきものがある人は、鬼にならない。
――正是有必須守護(hù)之物,人才不會(huì)化身為厲鬼。
LiSA:ならない。責(zé)任や守るべきものを放棄できた人は、鬼になれる。自分の弱さを言い訳にして、すべてを敵だと思える人は、鬼になれてしまうんですね。人は、守りたいものを捨ててしまえば、裏切ってしまえば、いつでも鬼になれる。モラルや、自分の中に「こうはなりたくない」っていう信念、「こういう人でいたい」っていう理想があったら、鬼にはならないんだろうなって思います。
LiSA:對(duì),不會(huì)變?yōu)楣砉帧V挥蟹艞壺?zé)任或需要守護(hù)的事物,才會(huì)墮身為鬼。用著自己的弱小為藉口,敵視世間一切的人,就一定會(huì)墮落成鬼阿。背叛與捨棄,無論何時(shí)對(duì)人來說都是引導(dǎo)墮落的蘋果。如果心中有道德、有著「不想變成這樣」的信念,甚至是「想成為那樣的人」的理想。我想是不會(huì)變成鬼的。
――守るべきものは必ずしも人ではなくて、決めている覚悟や曲げられない気持ちでもあったりする、と。それを持っていれば、悪いほうに転ぶことはない、ということですかね。
――需要守護(hù)的事物不一定需要是人,內(nèi)心堅(jiān)持的覺悟、不被他人扭曲的想法都可以成為須守護(hù)的事物。只要持有這些,就不會(huì)墜入惡途。是這個(gè)意思嗎?
LiSA:そうですね。この間スペインとパリに行ったときに、教會(huì)を回ったりしたんですけど、教會(huì)ってすごく靜かなんですね。「なんでだろう?」って考えたときに、それはそういう場(chǎng)所を與えられているだけで、きっと人は何もなくても「自分が正しいと思うことをきちんとしよう」っていう気持ちになれたら、ずっと正しいことができるし、何かを願(yuàn)おうと思えば、ロザリオがなくたって本當(dāng)は願(yuàn)えると思うんです。教會(huì)というのは、「ここに來たら、みんなお祈りや懺悔や考えごとをするんですよ」っていう場(chǎng)所を與えられていて、でも本當(dāng)はすべて自分の心の中にあることなのかなって思ったんです。
LiSA:是的。前陣子去法國(guó)以及西班牙的時(shí)候,有個(gè)教堂的行程。教堂給人的印象是十分莊嚴(yán)的。當(dāng)我抱持著「為什麼呢」想法思考時(shí)便發(fā)現(xiàn),這就是這個(gè)場(chǎng)所被賦予的存在意義。但只要人們心中產(chǎn)生「堅(jiān)持完成自己認(rèn)為是正確的事物」的想法後,便能如此一直走正確的路下去。而想祈禱時(shí),就算手邊沒有玫瑰經(jīng),也可以完成自己的祈願(yuàn)。「來到這裡大家要想著祈禱、懺悔以及冥想喔」這雖然是教堂被賦予的使命,但這些使命其實(shí)一直都存在於自己內(nèi)心裡阿。
――真理だなあ(笑)。
――這是真理呢(笑)。
LiSA:(笑)そう思ったんです。
LiSA:(笑)這也只是我的看法而已。
――場(chǎng)所や道具はひとつのきっかけであって、自分の中に揺らがないものがあるのかどうかはしっかり問われる、ということですね。
――您所想表達(dá)的是,「場(chǎng)所或物品可能會(huì)帶來一個(gè)契機(jī),一個(gè)探究自己心中是否有無法動(dòng)搖的事物的契機(jī)」嗎?
LiSA:そうですね。それを他人や世間のせいにしたり、自分を正當(dāng)化している人たちが鬼になるんです。それこそ、スペインで攜帯を盜まれたんですけど、その人たちはお金がなくて、それはお金がない現(xiàn)狀が悪いんだって言って、人のものを盜るわけですよね。「これをお金に代えて食べ物を買って何が悪いの。お前ら普通にご飯食べられてるんでしょ、iPhone持ってるんでしょ」って。もう、鬼が現(xiàn)れたって思った(笑)。
LiSA:是的。把這個(gè)契機(jī)怪罪於是他人或這個(gè)世界、將自己的行為正當(dāng)化的人就會(huì)變成惡鬼。那正是我在西班牙手機(jī)被偷的時(shí)候,扒手們將行為責(zé)任怪罪到?jīng)]錢上。正是因?yàn)闆]錢所以才偷東西。「我只是想把手機(jī)變賣買點(diǎn)吃的有錯(cuò)嗎?你不是已經(jīng)可以吃飽了嗎,還拿著手機(jī)呢」。你看,惡鬼不就出現(xiàn)了嗎(笑)
――(笑)。
LiSA:世の中には、鬼がいっぱいいるんです。でも、そういう鬼のことを気にしたらダメって、小池一夫さんの本に書いてあった。小池一夫さんの『だめなら逃げてみる(自分を休める225の言葉)』っていう本が、わたしのお守りなんですけど。
LiSA:在這個(gè)世上,存在著許多惡鬼。但小池一夫先生的某部著作中提到,不可以去注意那些鬼怪。小池一夫先生的這本『だめなら逃げてみる(自分を休める225の言葉)』是我的護(hù)身符呢。
――LiSAの內(nèi)面には鬼はいない?
――LiSA的另一面沒有鬼存在嗎?
LiSA:天使と悪魔、みたいな話で言うなら、鬼はいます。鬼が住んでる。だから、それを大聲で言ったら恥ずかしいっていう天使もいる。
LiSA:如果是在說天使與魔鬼的話,鬼是存在的。還是我的房客。同時(shí)也存在著將這件事大聲說出來就會(huì)害羞的天使。
――なるほど。話を戻すと、“紅蓮華”は自分自身の物語を描いた上で作品の物語にもシンクロできていて、その意味で非常に価値の高いコラボレーションであり楽曲になってると思います。
――原來如此。回到主題上,我認(rèn)為由於“紅蓮華”是同時(shí)基於自己的故事以及動(dòng)畫故事所創(chuàng)作的作品,所以也意味著這將會(huì)是一張價(jià)值非常高的合作曲。
LiSA:ありがとうございます。そういう意味では、作者と物語とLiSAにとって神が一緒というか、信じてるものが一緒なんだと思う。だから、魂が近いんだと思います。
LiSA:謝謝你。這也就是說,作者與作品還有LiSA所信仰的神是相同的,或是說都相信同樣一件事情。所以大概也可以說是靈魂很相似吧。
“紅蓮華”をみんなが喜んでくれた、楽しんでくれた、好きになってくれたことが自信になった
――『鬼滅の刃』のエンディングでは、梶浦由記さんが書かれたFictionJunction feat. LiSAとしての曲“from the edge”も擔(dān)當(dāng)していて。梶浦さんと一緒に作業(yè)するのは初めてだと思うんですけど、どんな印象を持ってましたか。
――『鬼滅之刃』的片尾曲是由梶浦由記所寫的“from the edge”,以FictionJunction feat. LiSA的形式呈現(xiàn)。LiSA應(yīng)該是首次與梶浦女士一起合作。在此之前對(duì)她有什麼樣的印象呢?
LiSA:「難しい曲を書く人だなあ」と思ってました。わたしからクラシックって、けっこう遠(yuǎn)いから(笑)。倍音があったり、コーラスワークがあったり、全體のサウンド感として――梶浦さんの曲を歌う人たちの戦い方って、アニメ的に言うとハンマーで壊していく感じのイメージがあるんですよね。わたしは、ソードでシャキーンって斬っていく感じ。エッジの利いた、ストレートな細(xì)い針で刺すようなイメージ。だけど梶浦さんの曲は、もっと倍音が多くて、広くて、フッとやったらバババババ~ンっていう――。
LiSA:我覺得是「歌寫得很複雜的人啊」。在我看來,古典樂跟我的距離滿遠(yuǎn)的(笑)。除了穿插泛音與合唱,還有整體音場(chǎng)的感覺。演唱梶浦女士作品的歌手們給人的感覺,用動(dòng)畫的講法就是用一把槌子敲爛的打擊感。而我則是彷彿揮動(dòng)一把劍時(shí)錚錚錚的斬?fù)舾小=o人有種看見銳利的劍鋒且像細(xì)針的筆直一般的感覺。但梶浦女士的歌曲則是更多的泛音,更寬闊的面積。一用力揮動(dòng)就會(huì)有乓乓乓的感覺。
――今の表現(xiàn)だと、読んでる人に全然伝わらない(笑)。
――照你剛剛的形容法,讀者大概完全看不懂吧(笑)。
LiSA:(笑)。
スタッフ:対人兵器と、対軍兵器です。
工作人員:對(duì)人兵器與對(duì)軍兵器的比喻。
LiSA:クラシックって、楽器を演奏する人、オーケストラ的な人がいっぱいいるじゃないですか。だけどわたしはひとりで歌っている。そこの違いはすごく大きいと思っていたので、自分は梶浦さんの音楽に関わることはできないのかな、と思ってました。
LiSA:在古典樂裡,演奏樂器、管弦樂團(tuán)的成員不是很多嗎。但相較起來我只有一個(gè)人。這之中的差距我認(rèn)為是很大的。因此在最開始我不覺得我會(huì)跟梶浦小姐有合作。
――なるほど。とすると、その印象は今回だいぶ変わったんじゃないですか。
――原來如此。那照您這樣說,這個(gè)印象透過這次的合作後應(yīng)該有改觀了吧
LiSA:変わりました。変わったし、「梶浦さんの楽曲に関わらせてもらう」っていう気持ちで行ったんですけど、梶浦さんもわたしにすごく寄り添ってくれて。造語みたいな難しい言葉をたくさん使われるイメージだったので、「梶浦さんワールドで自分が表現(xiàn)できる楽器を持ってないかも」って思ってたんですけど、レコーディングのときに梶浦さんから「LiSAさんは(クイーンの)フレディ?マーキュリーだと思ったの」って言われて。梶浦さんたちがオーケストラだとしたら、わたしがたぶんフレディで、そこで「なるほどぉ」って思って。そこで、「わたしは細(xì)い針のままでもいいんだな」って思ったら、すんなりできたんです。梶浦さんにいっぱい引き出してもらって、すごく楽しかったですね。
iSA:是有所改觀了。而且不但改觀了,還是抱著「想?yún)⑴c到梶浦女士的歌曲中」的心情前往合作的,在過程中梶浦女士也十分配合著我。由於她給人的印象是會(huì)使用許多如自創(chuàng)艱澀詞語,所以一開始我就有「說不定再梶浦女士的世界中沒有切合我表現(xiàn)的樂器在」的心態(tài)。但是在錄製過程中,梶浦女士卻跟我說「我認(rèn)為LiSA小姐就像是(皇后合唱團(tuán)的)佛萊迪?墨裘瑞一樣」。如果說梶浦小姐是管弦樂團(tuán)的話,我大概就是佛萊迪了吧。在這裡我才有「原來如此」感受。當(dāng)「我應(yīng)該維持著細(xì)針的樣子就可以了吧」的這種想法產(chǎn)生後,就感覺自己完全的放開了。能被梶浦女士這樣引導(dǎo),真的很快樂呢。
――複雑な曲を書く人っていうイメージがあるけど、それこそ『ソードアート?オンライン』の音楽を聴いたりすると、ストレートで情熱的で、聴いた人が一発で高揚(yáng)するような音楽を書かれる梶浦さんも素晴らしいな、と思うんですよね。その意味で、「対人兵器?LiSA」は梶浦さんにとってイメージが広がる歌の持ち主なんじゃないかなって思うし、そのトライアルの成果が曲に現(xiàn)れてますよね。
――雖然給人的印象是創(chuàng)作出來的歌都很複雜,但在聽了『刀劍神域』的作品後,便能感受到寫出如此熱情且率真、能使聽者一聽就亢奮的歌曲的梶浦小姐的好。在這個(gè)意思下,「對(duì)人武器?LiSA」的存在對(duì)於梶浦女士來說應(yīng)該就是可以拓展歌曲風(fēng)景的主人吧。而這個(gè)成果也可以從歌曲中檢視出來吧。
LiSA:ほんとに、梶浦さんは素晴らしい人ですね。音楽家の先輩としてというか――わたしは全然足下にもおよばないですけど――追求する心だったり、作品に寄り添う力はもちろんですけど、心遣いも含めて、ほんとに素晴らしい人だなって思います。曲も、わたしがひとりで錬ってきたものを投影したというよりも、梶浦さんとディスカッションをしていく中で、「こういう曲が作れるんだなあ」って思ったし、まだ見たことがない、聴いたことがない自分の聲を聴いてる感じがしました。
LiSA:梶浦女士真的是一個(gè)很棒的人對(duì)吧。作為音樂家的前輩,雖然我完全達(dá)不到她那種程度。對(duì)於完美的追求、委身於創(chuàng)作的那份力量、還包含那待人處事的溫柔。真的讓我感覺是一個(gè)很棒的人。在歌曲上,比起投影出我一個(gè)人絞盡腦汁後的成果,在與梶浦女士的討論過程中,除了讓我感受到了「原來可以寫出這樣的曲子阿」的情緒,更讓我發(fā)現(xiàn)了以往不曾看見的、不曾聽見的那屬於自己的歌聲。
――『鬼滅の刃』に関わったことで、“紅蓮華”で自身の想いをアウトプットすることができたし、梶浦さんとの共同作業(yè)も得るものが大きかった。この1枚の経験は、今後の自身にどんな意味をもたらしてくれると感じていますか。
――在參與了『鬼滅之刃』的製作後,不但將自己的感受成功在“紅蓮華”盡情輸出,在與梶浦女士的共同作業(yè)中也得到了許多寶貴的經(jīng)驗(yàn)。而這一寶貴的經(jīng)驗(yàn)對(duì)今後的自己有怎樣的意義呢?
LiSA:なんか、すごくバカみたいな回答になっちゃうけど(笑)、自信がつきました。“紅蓮華”をみんなが喜んでくれた、楽しんでくれた、好きになってくれたことが自信になったし、自分自身もやっぱり“紅蓮華”と“from the edge”ができたときに、自分の中で達(dá)成感があって、「すごくいいものが作れたなあ」って思える気持ちが強(qiáng)くて。それが、みんなの評(píng)価と同じだったことを感じられたので、すごく自信になりました。
LiSA:雖然這是個(gè)滿白癡的答案(笑),但,這次的經(jīng)驗(yàn)讓我充滿了自信。充滿了對(duì)於能夠讓歌迷們從”紅蓮華”上感受到快樂、享受“紅蓮華”、愛上“紅蓮華”。而自己也從“紅蓮華”及“from the edge”的完成上收穫了成就感。強(qiáng)烈感受到了「創(chuàng)作出了一個(gè)很棒的作品呢」的想法。這大概跟收穫歌迷們的評(píng)價(jià)後的心情一樣,真的讓我充滿了自信。
取材?文=清水大輔 撮影=中野敬久
スタイリング=久芳俊夫 ヘアメイク=氏家恵子
校搞:Dr.K、翻譯:NET、將拔
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